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  • 渡邊 航

臼杵 見星禅寺 | 此君亭前日譚 op.15


 生野家と禅との関わりは、此君亭の近所にあった禅寺へ祥雲斎が通い始めたことに始まります。ただし、森羅万象に心身を分け入り、感じるものを作品に反映することを生業とする以上、明確な線引きは無意味で、きっと自ずと誘われるように、気付けば禅の世界に傾倒していたのだと思われます。若いころから妻のテイと一緒によく通っていたそうです。  

 

 やがて座禅会などを通じて大分の名刹・万寿寺の足利紫山老師の知遇を得るようになります。また、臼杵市(うすきし)の見星寺(けんしょうじ)の先代である安藤実応和尚とも万寿寺を介して知り合い、その後も親交を重ね、やがては兄弟の契りを交わすほどに深いものになってゆきます。祥雲斎は1932年、京都から来訪していた妙心寺の神月撤宗管長から「祥雲斎」の斎号を授かっていますが、その場所は修復工事を終えたばかりの見星寺の本堂でした。  




 

 実応和尚が88歳のときに関東への巡礼旅に出かける際に贈った、延命十句観音経が彫り込まれた竹の杖や、茶室の網代天井や外壁に貼ったひしぎ竹など、見星寺には祥雲斎が手掛けた作品が多く残っていますが、これは祥雲斎と実応和尚がいかに懇意だったかを表わすものです。実応和尚は関西や四国へもよく出かけましたが、船で早朝に西大分港に戻るとまず港から程近い此君亭に立ち寄り、祥雲斎と朝食を共にするほどでした。   





 寺が代替わりをする際、寺を継ぐ恵薫和尚(現住職)があいさつのために此君亭を訪れると、祥雲斎は「くいな笛」を二本制作しており、「好きな方をお祝いにもっていけ」と言い、一本を手渡したそうです。寺を継いでしばらくして、恵薫和尚が檀家達との考えの違いに悩んでいたときは祥雲斎が間に入っていさめたといいます。その時ある知人には「恵薫が納得いかなくて寺を辞めて、いよいよいく道がなくなったら私が料理屋を紹介する」と話していたそうで、恵薫和尚が精進料理に関心を持っていたことを知っていたがゆえの配慮でした。   





 以下は見星寺のHPにある紹介文です。  


 成道山見星禅寺は大分県臼杵市に位置する、臨済宗妙心寺派の禅寺です。 寛永十一年(1634年)四月より法灯を護持し、令和元年で創建三百八十五年になります。二王座の高台に星月庵という精進料理の店もあり、仏教文化、食文化の紹介を通じ臼杵観光の一役を担っています。静かな本堂で座禅も出来、子どもたちと相撲も出来、大の字で昼寝も出来るような寺院でありたいと考えております。  


 精進料理を振る舞うことも生前の祥雲斎による助言に沿ったもので、今では臼杵の観光に大きく貢献する人気の店となっています。昼寝を促すような紹介文も珍しいものですが、豪快で大らかな性格だった祥雲斎に大きく影響を受けたという安藤恵薫和尚のお人柄が色濃く反映されているように思います。


 祥雲斎は1972年に亡くなります。墓は見星寺の境内墓地に建てられ、妻のテイと共に静かに眠っています。没後50年の節目であった昨年、生野家の床の間には特別な祭壇がしつらえられ、恵薫和尚が祈りを捧げました。





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