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  • 渡邊 航

此君亭をつくる | 此君亭前日譚 op.14




 何も無いところに何かを構築しようとする場合、最初の基準をどのように設定するかは重要です。例えば京の都、平安京では、風水における北の基準点である「玄武」に船岡山を設定しました。一つが決まれば、残りの基準設定も自ずと決まり、環境や条件に合わせて全体像は出来上がっていくものです。

 此君亭の場合、最初の基準は祥雲斎が定めた「海の眺望」と「湧水」でした。三枚田の棚田の上段に八坪のあばら屋を建てることから此君亭は始まります。そして後を継いだ徳三氏の美学は建築へ向けられることになるのですが、空間づくりにおいての基準に定めたものは「建具」でした。徳三氏は建築美における重要な要素に建具を挙げ、主に関西圏から古くて質の良いものを集めました。

 此君亭の中でもこだわりが最も反映された空間である母屋二階の座敷は、京都の六角堂から出た墨絵の描かれた二枚の杉板を基準に、地袋として設え、その後の空間設計がなされます。

 建設当時は別府湾を望むことができたため「小海荘」と呼ばれたこともある二階の座敷ですが、その見どころは多岐に渡ります。建具を開放すれば縁側を含んだ約八畳ほどの広い空間になりますが、戸を閉じれば四畳半となり、印象ががらりと変わります。壁の上部と天井に隙間を設けることで圧迫感を軽減し、部屋の隅には一人が座れるだけの書斎があり、窓は格狭間の伝統文様を象り、障子越しに優しい光が入ります。

 木材とその他の建具は、大分県安心院町に在った元貴族院議員が住んだ住宅から転用しました。築年数の経過した木材は新しい材にはどうしても出せない魅力があると、徳三氏は言います。また古い建具のちょっとした面取り細工やガラスの質感なども唯一のもので、一つ一つを手作業で作っていた時代のものは、やはり特有の美しさがあるものです。





 空間創りを終えれば、次に考えることは調度品になります。どの部屋にどんなデザインのものを置くのか、ということを考えるのは普通なことですが、祥雲斎はその素材からこだわりをもって見ている人でした。

 ある日、祥雲斎が由布市の森の中で竹を探し歩いていた時に見事な桑の大木と遭遇します。かつて養蚕を営んでいた家に残された桑でした。その桑に魅せられた祥雲斎は、持ち主と交渉の末、山から切り出し、数年間の水中乾燥と外気乾燥を施し、良い木材に育てるために、大切に保管していました。

 水中乾燥とは、かつて日本中の林業で盛んに行われていた乾燥技法です。水中に木材を沈めておくと、樹の内部にある塵や埃が外に出て、不純物が無く反りや歪みも起こりにくい、質の良い材になると言われています。かつて日本中どこでも、山から切り出された材は川に流して町まで運搬しましたが、木のことを考えれば実に理にかなった方法であったのです。

 その後、桑の木は此君亭の応接室の隅に設置されるベンチとして加工され、今なお桑独自の光沢を放っています。





 一階の茶の間では卓付の火鉢が存在感を放っています。これは樹齢四百年ほどの白檀を使って、祥雲斎がデザインしたものです。大分市のある寺院の境内に生えていた樹でしたが、都市化の弊害を理由に伐採され、その時に買い取ったものでした。

 良い樹を見極め、木材へ変え、建物や家具に生まれ変わらせ、樹の育った土地の物語を閉じ込める。此君亭の建築空間は、物への好奇心と美への探求心に抜かりの無い、稀有な親子二代によって営まれる“妥協の無い遊び”によって成り立っているのです。





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