竹工芸の分野で初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された生野祥雲斎(本名:秋平/1904~74年)は、若かりし頃に見た佐藤竹邑斎(1901-29)の花籠に魅せられ、竹芸の世界へ入りました。第二次大戦を経て郷里大分に戻ると、別府湾にほど近い棚田の跡に簡素な自宅と工房を建てます。そこは水が湧き、鳥が鳴き、風がそよぎ、裏山からは海が見渡せる風光明媚な土地でした。この地で竹と向き合い、自身と向き合う創作の日々が始まると同時に、「此君亭」の物語も動き出すことになるのです。
その後、祥雲斎の長男で同じく竹工芸家の徳三氏(1942-)に此君亭は引き継がれます。竹芸家親子二代の美意識を体現した建物と庭は多くの人々を魅了し、自ずと文化人を迎える大分のサロンとしての役割も担っていくことになります。その後、この地を訪れる人々を迎え、もてなす日々が、現在まで約100年続いてきました。
その蓄積は徳三氏と妻の寿子氏の日々の暮らしに受け継がれています。大分の地で働き、暮らすこと。もっと言えば、自然が見せてくれる日々のうつろいに合わせながら、竹を切り、庭を掃き、花を摘み、水を打ちます。今日も朝に摘まれた花が祥雲斎の編んだ籠の中で花びらを広げ、客人の到来を静かに待っています。
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